漢字検定 完全征服への道
「漢字検定」で修行する般若心経
 「漢字検定」と云う視点で、 般若心経を体験し、学習し、修行します。
 そこには、難しい漢字は少なく、意外と解り易くて、とっつきは悪くありませんが、その奥には窺い知れぬ程、
 人知を超えた「凝縮」があります。そこで何を識り、何を捉え、何を掴む?。遥か、二千年の時間を経てもさえ。
 そして、少し気を入れて読み込むと、ある程度は意味も理解できますが、その内容とは吃驚仰天。
 軽く流して観て頂いても、厭きないよう色々な角度から説明していきます。さて、その驚きの結末とは?
 しかし、解釈などには完成形はないと考えられます。参考とさせて頂いた本への理解も、変化し続けます。
 個人的に、一番しっくりとする説明や言葉としていますので、些事の誤解は御理解と御勘弁を願います。
 また、 解り易くレイアウトした般若心経も用意しました。意外と、理解し易くなるので是非一度御覧下さい。
 また、本内容は「漢字検定で修行」を前提としていて、いかなる宗教や宗教団体とも、一切関係ありません。
般若心経
ぶつ 「仏説」とは、お釈迦様が
説かれたの意。
仏は「佛」が旧字。普通は「佛」。
せつ
「摩訶」は、大きいの意。 摩訶不思議は「大きな不思議」という意味となる。
はん 「般若」は、智慧の意。 「恐ろしい顔をした女の鬼の面」も般若と云うが、
般若心経の般若とは何の関係も無い。
にゃ
「波羅蜜多」は、彼岸に
至る、と完成という意が
あるが、大きく捉えたら
同じ意となる。
「彼岸」
煩悩を脱し悟りの境地に達すること。
「此岸」
悟りの境地に達していない現実のこの世のこと。
みつ
しん 「心経」は、中心となる
お経の意。
心を教えたお経とも云える。
ぎょう
.
.
かん 観自在菩薩は、 「観自在」とは、自由自在に観ることができるの意。
「菩薩」とは、「大乗仏教」において「悟り」を求め
修行している人。「観自在菩薩」は、別名で
「観世音菩薩」ともいい、「観音」さんです。
般若心経は、観自在菩薩が、次に出てくる舎利子
に、説き教えているのである。
ざい
さつ
ぎょう 深い般若波羅蜜多
行じし時に、
「行」とは、実践する、修行するの意。
じん 「深」は、素直に深い。
はん 「般若波羅蜜多」は、智慧の完成という意味で、
「ほとけさまの智慧の完成」である。
にゃ
みつ
「時」は、素直に時。
しょう 五蘊とは皆、空だと
照見し、
「照見」は、見極めるの意。
けん
*「五蘊」とは、五つの集まったものの意。
・・・[色・受・想・行・識]
うん
かい 「皆」は、素直に皆。
くう 「空」は、普通実体のないこと。そらではない。
一切の苦厄を
度された。
「度」とは、克服するの意。
いっ 「一切」は、素直にすべて。
さい
「苦厄」は苦しみと災難の意。
やく
.
しゃ 舎利子よ。 ここからは、観自在菩薩が説く。「舎利子」とは、
お釈迦さまの筆頭弟子で、名前である。
舎利子よ、
しき 色は空に異ならず、 「色」は前の*五蘊の一つを指す。
「からだ」のことであるが、広くは形あるもの。
「不異」とは、異ならないの意。
くう 形あるものとは、空にほかならず、
くう 空は色に異ならず、 やはり、「空」の解釈や理解が一番難しく、
この概念が分かれば、全てが分かり見えて
くるものだろう。イメージとしては掴めるのだが。
しき 空とは、形あるものにほかならない。
しき 色は即ち是れ空、
そく 上の「不異」が今度は、「即是」である。
「即是」とは、すなわちこれ。
くう 形あるものとは、すなわち空であり、
くう 空は即ち是れ色なり。 空とは、すなわち形あるものである。
そく
しき
じゅ 受想行識も、 「受・想・行・識」も先の*五蘊である。
「受」とは、感じること。「想」とは、想うこと。
「行」とは、行なおうとすること。
「識」とは、知識がふえること。他の*五蘊の
そう
ぎょう
しき 受・想・行・識も、
やく 亦復た是れのごとし。 「亦」は、またの意。
「復」も、またの意。
「如」は、ごとくの意。
「是」は、これの意。
にょ
またまた、かくのごとし。
.
しゃ 舎利子よ。 改めて、「舎利子」よ。
是の諸法は空相にして、 「諸法」とは、宇宙の一切の現象。
「空相」とは、「空」の「相」で空なるありかた。
しょ
ほう
くう すべては、空であるから、
そう
生せず、 生ずることはなく、
しょう
滅せず、 滅することはなく、
めつ
垢つかず、 「垢」は、あか。
垢もつかず、
浄からず、 浄もせず、
じょう
増さず、 増えることもなく、
ぞう
減らず。 減ることもない。
げん
是の故に空の中には、 「故」は、ゆえに。
くう これゆえに、空には、
ちゅう
色は無く、 *五蘊の一つの
しき 色は無く、
受も想も行も識も無く、 また、他の*五蘊の
じゅ
そう
ぎょう 受・想・行・識も無く、
しき
眼も耳も鼻も
舌も身も意も無く、
「眼・耳・鼻・舌・身・意」を、仏教では*「六根」と
云う。「六根清浄」の「六根」である。
「身」とは、皮膚の意。
「意」とは、意思の意。
*六根である
げん
ぜつ
しん 眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、
色も声も香も
味も蝕も法も無し。
「色・声・香・味・蝕・法」を、仏教では*「六鏡」と
云う。前の*六根と対するもので、「眼」には「色」
「耳」には「声」・・・と対応する。ここでの「色」は
「色即是空」の「色」とは違い、もっと狭い意味。
*六鏡である
しき
しょう
こう
そく 色・声・香・味・蝕・法も無く、
ほう
.
眼界も無く、 *六根と*六鏡が接触し、認識したものを*六識
と云い、*六根、*六鏡、*六識をあわせて
*十八界と云う。その最初の*十八界の
げん
かい 限界も無く、
ない 乃至、 「乃至」は、または、あるいはの意。
また、
意識界も無し。 *十八界の最後の
しき 意識界も無い。
かい
無明も無く、 *「十二因縁」とは、十二の因縁が順番に生起
すると云う思想で、その*十二因縁の初めの
みょう 無明も無く、
やく 亦、 「亦」は、また。
無明の尽きることも無し。 「尽」はつきるの意。
「無明」が、「尽」きることが、「無」いとは
聡明で無いものが、無くなることが、無いで
みょう
じん 無明の尽きることも無い。
ない 乃至、 あるいは、
老死も無く、 *十二因縁の最後の
ろう
老死も無く、
やく 亦、 また、
老死の尽きることも無し。 *十二因縁とは、無明・行・識・名色・六入・蝕・
受・愛・取・有・生・老死である。
ろう
じん 老死の尽きることも無い。
.
苦も集も滅も道も無く、 小乗仏教の根本教理の*「四諦」である
「苦諦」とは、苦に関する真理
「集諦」とは、苦の原因を集めた真理
「滅諦」とは、苦の原因の欲望を滅する真理
「道諦」とは、欲望を滅するための方法の真理
であるが、その*四諦の
しゅう
めつ
どう 苦・集・滅・道も無く、
智も無く、 「智」とは、智慧の意。
智慧も無く、
やく 亦、 また、
得も無し。 「得」とは、悟りを得ることの意。
とく 悟りを得ることも無い。
得る所無きを以っての
故に。
「以」はもっての意。
「無所得」は所得が無いではなく、得る所が
無いの意。
しょ
とく それは、そもそも得るということが無いからである。
.
菩提薩埵は、 「菩提薩埵」とは、菩薩のことで、弥勒菩薩や
お地蔵さんの地蔵菩薩がよく知られている。
たい
さっ 菩提菩埵は、
般若波羅蜜多
依るが故に、
「依」は、よるの意。
ほとけさまの智慧は完成しているゆえに、
はん
にゃ
般若波羅蜜多に依ったお蔭で、
みつ
しん 心に罣礙無し。 「心」は素直にこころの意。
「罣礙」は、わだかままりの意。
けい 心に罣礙は無いし、
罣礙無きが故に、 罣礙が無いので、
けい
恐怖有ること無く、 「恐怖」は、素直にきょうふ。
恐怖も有ることが無く、
おん 一切の顚倒夢想を
遠離して
「遠離」は、遠く離れているの意。
「一切」は、素直にいっさい。
「顚倒」は、さかさまに捉えるの意。
「無想」は、ここでは妄想が一番馴染む。
いっ
さい
てん
どう 顚倒したり、妄想からは開放さ れ、
そう
涅槃を究竟す。 「究竟」は、究極の真理の意。
「涅槃」とは、一切の苦しみから解放され、全ての
煩悩を解脱した悟りの境地を云う。
きょう
はん 究極の涅槃である。
.
さん 三世の諸仏も、 「三世諸仏」とは、「過去仏」・「現在仏」・「未来
仏」の意。
しょ 三世のもろもろの仏も、
ぶつ
般若波羅蜜多
依るが故に、
前にも全く同じ言葉が出て きています。
当然ながら、同じ意です。
はん
にゃ
般若波羅蜜多に依った故に、
みつ
とく 阿耨多羅三藐三菩提を
得たまえり。
「得」は、文字通り得るの意。
「阿耨多羅三藐三菩提」は、古代インドの言語
サンスクリット語の音訳語で、漢字だけを眺めて
いても全く意味は掴めない。しかし、この音が
重要なのである。
アーノクターラーサンミャクサンボーダイ
のく
さん
みゃく
さん 「阿耨多羅三藐三菩提」を得た。
だい
.
故に知るべし。 「故知」は、ゆえにしるべしの意。
ゆえに知るべし、
はん 般若波羅蜜多は、 今まで何回も出てきた般若波羅蜜多である。
にゃ
般若波羅蜜多は、
みつ
是れ大神咒なり。 「咒」は、「呪」とも書くが「咒」の方がしっくり来る。
「咒」には、一義としては、祈るがある。
だい
じん これは、大いなる霊力のある真言であり、
しゅ
是れ大明咒なり。 「明」には、大きく捉えて、智慧のあるとか、
聡明なの意。
だい
みょう これは、すぐれた真言でり、
しゅ
是れ無上咒なり。 「無上」とは、これ以上は無くの意。
じょう これは、無上の真言であり、
しゅ
是れ無等等咒なり。 「無等等」は等しくくらべるものが無いの意。
とう これは、くらべるものの無い真言であり、
どう
しゅ
のう 能く一切の苦を除く。 「能」は、よくの意。
「除」は、素直にのぞく。
「苦」も、素直に苦悩の苦。
じょ
いっ
さい よく、あらゆる苦をとり除き、
しん 真実にして虚ならず。 「真実」は、素直にしんじつ。
「虚」も、素直にいつわりの意。
じつ
真実にして、偽りではない。
.
故に
般若波羅蜜多
咒を説く。
ようやく謎が解けました。
般若波羅蜜多の咒文を説きます。
せつ
はん
にゃ
ここで、般若波羅蜜多の真言を説く。
みつ
しゅ
そく 即ち咒を説いて曰く、 「説」は、素直にとく。
「曰」は日ではなく、いわく。
せつ
しゅ すなわち、いわゆる是れこそが咒文です。
わつ
.
.
ぎゃ 羯諦       ギャー△テー△
てい
ぎゃ 羯諦 ギャー△テー△
てい
波羅羯諦 ハー△ラー△ギャー△テー △
ぎゃ
てい
波羅僧羯諦 ハラ△ソウ△ギャー△テー△
そう
ぎゃ
てい
菩提薩婆訶 ボー△ジー△ソワ△カー△
.
.
はん 般若心経 ここに、般若心経を終える。
にゃ
しん
ぎょう
.
この解説や詳細内容は、『ちくま新書 玄侑宗久著 「現代語訳般若心経」』
『成美堂出版 ひろさちや監修 「書き込み式「般若心経」練習帳」』
『小学館文庫 ひろさちや著 「般若心経二六二文字の宇宙」』等を
参考にさせて頂きました。
次は、分かりやすくレイアウトした般若心経を紹介します。
漢字検定 完全征服への道 Homeへ                次へ
Copyright(C) 2006-2013 工房藤棚 All Rights Reserved