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書籍名 | : | おじゃま虫 |
シリーズ | : | 単行本 |
著者 | : | 山本夏彦 |
初版発行 | : | 一九八四年四月二十日 〔昭和59年〕 |
紹介版 | : | 一九八四年四月二十日 第一刷 |
発行者 | : | 加藤勝久 |
発行所 | : | 株式会社講談社 |
ISBN | : | 4-06-200992-7(0) |
定価 | : | 1,200 |
頁 | : | 257 |
印刷所 | : | 日本写真印刷株式会社 |
製本所 | : | 大製株式会社 |
装幀 | : | 山岸義明 |
写真 | : | 藤塚光政 |
初出誌 | : | 「プレジデント」昭和五十六年一月号〜昭和五十九年二月号 |
「毎日新聞」昭和五十六年一月十一日〜昭和五十七年十月二十四日 | ||
かいつまんで言う | : |
山本夏彦氏の講談社からの単行本3冊の第2冊目。 文庫本化は中公文庫。 ただ、他の2冊との関連は薄い。「プレジデント」版「写真コラム」か。 内容は相変わらずの夏彦節。藤塚の小写真集と言う割には写真の数はそれほど多くは ない。活字が大きく当時にしては贅沢で上品な造りである。 「まえがき」に『「プレジデント」は立身を願う読者のための大雑誌で、立身を願う読者と私は 必ずしもよき友ではないから、かえって何かのたしになりはしまいかとこの連載を「おじゃま虫」と 題した。』とあるが、忘れ易い立場の本である。 本書「むかしの子いまの子」によると、嘘か誠か山本氏はタイムマシンに乗ってしばしば二千 年前のギリシャ、ローマに飛ぶと『千年前の子も二千年前の子も同じ喚声をあげる。ギリシャ、 ローマの子もわが国の子とそっくりである。ためしに軽くつついてみると、笑うものとにらむ者が あって、その割合もまたそっくりである。』。 『私はこの世を「生きている人の世の中だ」と思っている。死者はあっというまに忘れられる。』 は本書「花かげに幾たびか酔いえんや」に出てくる言葉で、同じく最後に『私たちは鳥が区別 できないように、鳥たちは私たち人間を区別できない。年々歳々花は同じだが、それを見る人 は同じでないとシナの詩人は言ったが、それが自然なのである。』と書いているが、生きている 人の世の中であるのは当然である。 しかし、我々に残された本で必要な本は残るであろうし、山本氏の本は当然残らなければ ならぬ本であり、言い方を変えれば、我々が残していかねばならぬ本である。時代が生んだ 本では無い。時代を超えて時代を選ばぬ本である。 「利をもって誘うがいい」には『もし民が言うが如く、官はむだにみちみちているなら、それを 最も知るのは官だから、利を以て誘えば上下心をあわせてむだを駆逐するだろう。』とあり、 これが発想の転換であり、松下幸之助氏はこれをさらに推進すればわが国はついに「無税 国家」になると言うと書くが、そこまででなくとも、いつまでも同じ発想では成り立たなくなって いるのは確かである。 |
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シリーズ | : | 中公文庫 |
印刷 | : | 一九九二年三月二五日 |
初版発行 | : | 一九九二年四月一0日 〔平成4年〕 |
紹介版 | : | 一九九二年四月一0日 初版 |
発行者 | : | 嶋中鵬二 |
発行所 | : | 中央公論社 |
ISBN | : | 4-12-201894-3 |
定価 | : | 440 |
頁 | : | 237 |
印刷所 | : | 三晃印刷 |
製本所 | : | 小泉製本 |
カバー画 | : | 河鍋暁斎筆(『暁斎画譜』より) |
初出誌 | : | 『おじゃま虫』昭和五十九年四月 講談社刊 |
解説 | : | なし |
かいつまんで言う | : |
山本氏の中公文庫14冊中のいよいよ13冊目。 これも当然の如く絶版。 本カバーも美しく、いい出来なので大変残念である。 週刊新潮の「夏彦の写真コラム」とは違った形の写真コラムで、その写真は本書にも収められ ているが、一つ一つが面白く「まえがき」に書く『この集は 私のコラム集であると共に藤塚の 小写真集である。』に恥じない格好良さである。 |
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本カバー写真には関係各位の著作権保護の為に透かしを入れていますので、御了承及び御注意下さい。 | ||
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