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書籍名 | : | 一寸先はヤミがいい | |
シリーズ | : | 単行本 | |
著者 | : | 山本夏彦 | |
紹介版 | : | 2003年 4月 5日 | |
発行所 | : | 株式会社 新潮社 | |
定価 | : | 1600 | |
ひとことで言う | : | 一コラム一名言紹介 | |
10 | 2006/ 8/20 | : | 「オリンピックまた来る」より |
この狂喜は劣等感の所産だとまる見えだったからである。 | |||
9 | 2006/ 8/19 | : | 「カタカナ語を減らそう」より |
我々はある国に生れたのではない、ある国語のなかに生れたのだ、祖国とは国語だ、国語 以外の何ものでもないというシオランの言葉を私は固く信じるものである。 |
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8 | 2006/ 8/14 | : | 「人みなケチである」より |
タダは客と芸人とドラマを限りなく堕落させる。 | |||
7 | 2006/ 8/11 | : | 「匿名というもの」より |
漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気のいる ことである。敵は幾万である。 |
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6 | 2006/ 8/10 | : | 「わが社は老人語の宝庫」より |
私は全くの死語は用いない、半死半生ではあるが、いま使えば息ふき返す言葉なら勇んで 用いる。抵抗である。言葉は五百年千年の歴史あるものは過去を背負っている。 |
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5 | 2006/ 8/ 9 | : | 「公明党に気をつけよ」より |
かいつまんで言え、かいつまんで。 | |||
4 | 2006/ 8/ 8 | : | 「どの人殺しか分らない」より |
ひとはその日まで枕を高くして寝ている存在であることロスやニューヨークの市民に異なら ない。 |
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3 | 2006/ 8/ 7 | : | 「とめてとまらぬ「ボキャ貧」」より |
私は文語文に返れといっているのではない。そんなことはできはしない。ただ文語にあって 口語にないものは何々ぞと数えたのである。漢字と漢語は自然に減る。ただ半死半生の 言葉、今なら蘇生させることができる言葉をなぜ蘇生させないかと言っているのである。 |
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2 | 2006/ 8/ 5 | : | 「反論よおこれおこれ」より |
マイコンのたぐいは操作すれども理解はせずで、子供ばかりでなく、大人も野蛮人に返った のである。 |
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1 | 2006/ 8/ 4 | : | 「遅まきながら「東京県人会」」より |
それでも末流は末流だと認めないガンコ者がいるのに私は微笑を禁じ得なかったのである。 | |||
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